20230113 「Marks」00Q
- ろばすけ

- 2023年2月13日
- 読了時間: 8分
更新日:2023年2月14日
真珠のピアスに連なってる話なので再録(2017年発行TATTOOより)(2017年1月)
R18です
いつも彼の任務のナビを終え、後始末まで済ませてからくたくたで帰宅しても、しばらくは寝つけない。ぎりぎりの緊張感に張りつめた神経は緩め方をなかなか思い出してくれないし、落ち着かないのは神経だけじゃないから。
体まで、どこか奥深くでざわざわと波立っているような気がしてしまうのは、そう教え込まれたからだ。
戻ってきたばかりの彼は、いつもより少しひどく僕を抱く。僕はそれをもう、いやというほど分かっている。
任地からここへ戻ってくるまでにどれくらいかかるか、僕は無意識に計っていた。そして僕が予測した時間よりほんの少し早く、部屋の鍵が開けられる音がした。
深夜の来訪者に、揃って丸くなって眠っていたはずの猫たちが警戒の声を上げる。僕は彼らのところへ向かって、その背をそっと撫でた。
大丈夫だからおやすみ。
そう囁くころには、もう彼の手が僕に伸ばされていた。
「や、だ……」
繰り返しても、彼は聞いていない。
ベッドにうつ伏せて、腰だけを抱えあげられて、僕の声は枕に押し付けられてくぐもる。
彼のペニスが、僕の体の奥深くまで入り込んで、ゆっくりと動く。全身が熱くてたまらない。内側から熾火で焼かれているような錯覚。全身が汗をかいて濡れているのが分かる。きっと明るいところで見たら真っ赤だろうと思う。
ずっと声を上げ続けている喉がすこし痛む。もう何度か吐き出した体液がシーツを濡らしていて、全身が重い。でも疲労感は、むしろ自制を取り払ってしまう効果しか生まない。それすらたぶん彼の狙い通り。
彼は、いっそ規則正しいと言いたくなるような、緩慢な動きを続けたまま、背中にぴったりと重なっていた。でも分厚い体の重みは感じない。たくましい腕が彼の体を支えていて、きつく目を閉じた僕の顔を間近に見ているのが分かる。涎とか涙とかで濡れてぐしゃぐしゃになっているに違いないけれど、隠そうという気などとっくに失っている。
僕の頭の中にはもう、一刻も早くいきたいという思いしかない。そのために今何か命じられたなら、今なら躊躇なく従うのに。
――でも彼はそうはしない。
彼の手は、僕の手を押さえこみながら自分の体を支えている。腰は緩慢な動きを、緩めもしないけれども、激しくしもしない。ゆるゆると、一定のペースで、僕の体の奥深くを刺激し続ける。
僕の体も、頭の中も、何もかも溶かされてただのぬるぬるとした液体になってしまったように思えてくる。その液体は常にかきまぜられて、ひどく熱くて、でもけして出て行かない。
「……、もう……、っ」
同じような、言葉にならない懇願を、僕はただずっと繰り返していた。聞き入れられないということも知っているのに。
案の定、彼は答えずにただ小さく笑う。
彼がどんな表情をしているか、僕には見えなくても想像はついた。
あの瞳が、興奮に色を変えている。冷たいような笑みが、上気した顔に浮かぶ。想像しただけで体が震えるような、ベッドの上でしか見られない表情。僕はもうそれをよく知っていて、それでもけして見慣れることもない。
「もう、やだ……」
そう言って首を振ると、彼の唇が僕の耳を噛んだ。
「っや」
犬歯が刺さるような痛みの後に、分厚い舌がなだめるように這う、熱い感覚。彼の舌は、そこに残る、もう塞がってしまったピアスの痕を執拗にたどる。そして時折また思い出したようにそこを噛む。
「あっ! あ、あ、や……っ」
そこを噛まれるたび、僕は全身を満たした熱い液体が音を立てて渦を巻き始めるような錯覚に怖くなる。
ピアスの痕は、昔、ほんの短い間だけ、秘密の仲間の間で流行った遊びの名残だった。
新しい男と寝るたびにひとつ。そんなくだらないことを始めたきっかけも、耳に残っている痕の数だけいたはずの相手の顔すら覚えていないのに、体に残した痕はそう簡単には消えない。
そしてふさがってピアスを通すことができないくらいの時間が経っているのに、彼はほとんど力づくで、たくさんの痕がある理由を僕から聞き出した。
そしてそれ以来ずっと、彼は僕を抱くたびに、まるで黙って責めるように、執拗にその痕を愛撫する。噛まれるたびに、そこに何か塗りこまれ、繰り返し囁かれているような気がする。
彼が気まぐれに抱いてきた相手のほうがずっとずっと多いに決まってるのに。
それはいつの間にか決まりごとのようになって、繰り返されるごとに次第に深く、今では触れられるだけで僕を狂わせる場所になった。
「あ、っ、……っ」
頭を振り首をすくめて、逃げようとしてもかなわない。彼の息も荒くなって、ときおり鋭い痛みが走って、僕は体をすくめ、無意識のうちに体の奥の彼を締めつけてしまう。
一定のリズムを崩さない彼の腰の動きが、執拗さを増す。えぐるような動きに、一番奥を突かれて、呼吸が止まりそうになる。
「……Q」
ざらついた声が、耳から頭の中を撫で上げていくような感覚。
僕の手を掴んだままの彼の手が、指先を胸に這わせてくる。そこは、彼を受け入れて、今ではまるで食い締めているような場所に「つながって」いる。自分の指と彼の指が、シーツに擦れるだけで鈍く痛むような尖った場所を執拗に摘みあげ、撫で、僕は悲鳴に近い声を上げる。
「あっ! あ、だめっ!、や……っ」
嫌なのではなく怖いだけなのに、彼はどうしても僕をドライでいかせたがる。抵抗なんかできるわけがない。
最後には声も出ない。かすれた呼吸音と、「呑み込まれる」感じがするのだという彼の荒く低い呻きのような声とが重なる。
僕は全身を震わせ、長い緩やかな、目もくらむような射精の瞬間を迎える。真っ白い、強烈すぎる、まぶしく短い死を。
しばらくの間、僕は目も口も開いただらしない状態のまま、ただそこに横たわった。彼が体を起こし、ゆっくりと体の中から抜け出していく感覚が、それだけなのに過敏になっている体には強すぎて、体が震える。
でももう、指一本動かしたくない。
彼は呼吸が整うと立ち上がって、新しいシーツを出してきて僕の体を包んだ。
「……や」
まだ、触らないで。
言葉にしなくてもそれは伝わる。彼は頷いてシャワーを浴びに行き、僕は遠くに水音を聞きながらゆっくりと目を閉じる。
これでやっと眠れる。そう思いながら。
短い空白の時間のあと、待っているのはすごく奇妙な目覚めだ。
体はひどく重いし、指の先までまだざわざわとした感覚が残っていて、ちょっとでも触れられたら勃ってしまいそうな違和感が抜けなくて、落ち着かない。
でも、めったに味わえないような、とても深い眠りの後の満足感も確かにある。疲労感と高揚感、矛盾した感覚が体の中に満ちていて、そしてそのたびにまた怖くなる。僕の体はもうそれをすっかり覚えてしまっているからだ。
ある日もうすべておしまい。そう言われたらどうしたらいいかわからない。きっと耐えられない。
彼はアルコールと薬物だけじゃなくてセックス依存だと診断されたことがあると聞いた。これもその一種なのかもしれないと真面目に思う。でも、もしかしたらもっとたちが悪いのかも。
僕が依存しかかっているとしたらそれは「彼との」セックスに、だ。
そんなの危険すぎる。でも、止めるなんて無理だ。
目を覚ました時には、朝が来ていた。僕はシーツにくるまったままだったのに、どうやったのかベッドのリネンも一通り替えられていた。
そしてすぐ横で、カーテン越しの朝の光の中で、彼が穏やかに寝息を立てていた。
大きな時差がある場所から戻ってきたわけではないけれど、疲れは残っているはずだ。
僕は穏やかな寝顔をしばらく眺めて、それから彼の少々個性的な耳たぶに手を伸ばした。数時間前に散々噛まれた僕のそれと違って、彼の耳には何の人工的な痕もない。
もし彼が、寝た相手の数だけ「痕」を残すような真似をしたら、とても耳たぶだけじゃ足りないだろうな。
そんなくだらないことを思い、そして自分で思ったくせに、その一言がなぜか僕の胸を焼くことを自覚する。
そしてふと思う。同じような理不尽な感情を、彼も持っているんだろうか? 僕の耳に残された痕を目にするたびに、馬鹿げてるとわかっているのに誰ともわからない相手に嫉妬する? あのジェームズ・ボンドが?
――そんなのありえないことのはずなのに。
指先の感触に、彼が目を覚ました。まぶたが上がり、僕よりもずっと薄い色をしたその瞳は、一瞬眩しげにまたたく。
それから彼はすぐに僕がしていることに気づいて、柔らかく笑った。疲れたような影がまだ抜けていない表情は、裸のままベッドの上で見せられるとひどくセクシーなものに見える。
一方で僕がどんなひどい顔をしてるかは、考えないようにする。考えてしまうと、ここから抜け出せなくなるから。
そして僕はふといたずらを思いついた。耳を引っ張って、顔をしかめて上体を起こした彼を、そのまま抱き寄せる。重たい身体が重なってきて、彼の眉が面白がるように笑う。
「? まだ足りない?」
まさか。あんなの当分したくない。僕は言葉ではなくてしかめた顔で返事をする。彼はくすくす笑って手を伸ばしてきた。汗をかいて重たくなった髪をかきあげられて、顔を覗き込まれる。
「僕はしばらく休暇だけど」
「僕は今日「も」仕事ですよわかってるくせに。やだって言ったのに」
もちろんそんなことを、かすれた声で言い返したところで何の意味もない。最中に、僕は百回だって嫌だと口走っているに違いないけれど。
彼はただ笑って唇を重ねてきた。キスで何でもごまかせると思っている。それは腹立たしいけれども多くの場合正しかったりもする。
僕は長くなったキスのあと、そのまま唇を彼の首筋に這わせた。
「お腹が空きました」
「……夜中にキッチンを見たけど、何もなかったぞ」
呆れたような声が返ったのにささやかな抗議のふりで、僕は彼の耳の後ろに噛みついた。なんだか機嫌よさげな彼は逃げるような「ふり」で、同じように僕の耳にキスを返そうとしてくる。それだけは全力で阻止して、ふざけているふりで、僕はそこに小さな、でも赤い痕を残した。
「外で食べるのでいいから。――でも送ってください。時間がない」
わがままを言うふりで笑って見せながら、僕はささやかな抗議のしるしの出来栄えに満足していた。
彼がそんなもの気にも留めないだろうとわかってはいたけれど。



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