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2023.1/9「声」

  • 執筆者の写真: ろばすけ
    ろばすけ
  • 2023年1月9日
  • 読了時間: 3分

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『君はきっと忘れてしまうだろう』

 あなたがそう言った、ってことを一番はっきり覚えてるって言ったら、あなたは笑うかな。


 あなたの「予言」通り、僕はあの奇妙な数週間のことを、そんなに覚えていない。

 初めてニューヨークへ行った。ニューオリンズにも行った。

 なにより、初めて母と離れて過ごした日々だったし、父がどうしているのか不安でならなかった。

 でもそれは「覚えてる」って言えるようなことじゃない。どちらかというと記憶の「輪郭」のようなものに過ぎない。

 父が不安定になって、一時的に入院していて、母はそんな状態の父のもとに僕を連れて行けなくて、僕をあなたに預けた。

 後から理解して、母やあなたからも話を聞いて、僕は自分の記憶の輪郭を何度もなぞって消えないようにしたんだと思う。

 僕の中に残っているのは、パレードの音楽や、地下鉄の轟音や、録音機材のボタンの重い感触や、あなたの声がどんなふうに聞こえたか、みたいなことだ。

 でもそれは、あの時の僕の感情や行動そのものの記憶とはたぶん全然違う。

 僕はまだ小さな子供で、「変わった子」って言われることに僕なりの折り合いをつけていたのかもしれない。そうじゃなかったのかもしれない。

 肝心なことはやっぱり何も覚えていないのかも。


 あなたのお葬式で、僕は遺品の片づけを手伝った。あのテープを見つけたのは母だった。

「見て。懐かしい」

 僕は手書きのラベルの文字をなぞった母の指を見ていた。彼女が触れたのは僕の名前が書かれたテープだったからだ。

「あなたの声が残ってるかしら」

「聞くの?」

「もちろんよ」

 僕の躊躇をよそに、彼女はそのテープを、あなたの部屋に残っていた古い機材に入れて再生ボタンを押した。

「?」

 それはあなたの声でも、僕の声でもなかった。

 聞こえてきたのは、僕が録音した海岸沿いの道で聞こえていた音だった。

 少し遠い波の音、店から聞こえる、今聞くと懐かしく聞こえる当時の流行の音楽、さっと通り過ぎていくスケートボードがアスファルトの上を滑る独特の音、人々の足音には、かすかに砂を踏む音が混じっていく。ビーチバレーに興じる若者たちの笑い声、走って近づいてくる足音。

 その瞬間、僕はあまりにも唐突に、あの日の強い日差しや、目の前を歩いていたあなたと、あなたの仕事仲間の大人たちのうしろ姿を思い出してめまいがした。

 僕は録音という作業に夢中になって、いつもとりとめもない街の音を撮っては部屋に帰ってから飽きずに聞いていた。あなたは「将来の職業は決まったな」って笑っていたよね、そういえば。今の僕の職業は、あの時のあなたの予想とは全く違うけど。

「これはなに?」

「……ヴェニスビーチを歩いた時のだ」

「あなたが撮ったの?」

「そうだよ」

 母が不思議そうな顔で僕を見たので、僕は頷いて返した。

「ものすごく懐かしい」

「覚えてた?」

「たった今思い出した」

 僕がそう返したとたんに、まるで聞こえてたみたいに、あなたの声がした。

『暑いな! アイスクリームで休憩はどうだ?』

『賛成!』

 答えたのはもちろん僕の声だった。

 少し先を歩いていたあなたの声は遠く、子供っぽい僕の声は突然耳に刺さるような音量で聞こえてきた。

「可愛い」

 母がなぜか懐かしいものを見るような目で僕を見てそう言い、それから僕の髪に指先を伸ばしてきた。

「四十近いおっさんですけどね」

「あなたは永遠に「可愛い」わよ」

 その台詞は実際は母の口癖みたいなもので、長年僕を心から煩わせてきたものだった。

 けれどもなぜかその瞬間は、それこそ九歳だったあのときみたいに、僕を少しだけくすぐったく喜ばせた。驚くべきことに。

「冷蔵庫にアイスクリームがあったわよ。「遺品」だから、片付けちゃおうか?」

 その時、数日ぶりに母がそう言って笑ったので、僕は頷いて返した。




(カモン、カモン)

 
 
 

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