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「タキシード」

  • 執筆者の写真: ろばすけ
    ろばすけ
  • 2023年8月10日
  • 読了時間: 9分

ルスハンポストカードアンソロジー に寄稿させていただいたお話の再録です。





「なあ、どこかで停まれるか?」

 そんな声を聞いて、俺はハンドルを握ったままジェイクの表情を確かめた。

「……夕日見ながら食う?」

 ちらりと視線を流した先には、後部座席に置かれたまだ温かいピザの箱と、ざっくり氷ごと袋に入ったビール瓶があった。正直、さっきからいい匂いがして困ってたんだ。たぶんジェイクも同じだと思う。俺たち、今日はろくに食う暇がなかったから。

 案の定彼は俺の視線を見て笑って言った。

「ピザが冷めるのを待つ必要ないだろ? それにこの車でチェックインはさすがに……」

 彼の言葉を全部聞く必要はなかった。


 今夜予約してあるのは結構いいホテルなんだ。

 だって今日、俺たちは結婚式を挙げたから。



 今日のために久しぶりに借りたブロンコは今、派手に騒音を立てながら走っている。

 リアウインドーにはでかでかと「Just Married!」って書いてあるし、バンパーには紐がたくさん結びつけてあって、空き缶を引きずっているからだ。

 それじゃなくても目立つ車なのにこのありさまだから、すれ違ったり追い越していく車は軽くクラクションを鳴らしたり、笑顔で手を上げて祝福してくれたりする。一方で、乗ってるのがタキシード姿の男ふたりだと気づいて目を丸くするやつもいる。

 まあもう、他人の反応なんてどうでもいいんだけど、飾りはともかく、空き缶はそろそろ外しておかないと。

 俺は黙ってウインカーを出し、車線を変えた。

 記憶に残ってる場所がこの少し先にあるとわかっていたからだ。


 海を見渡せる駐車スペースは、ドライブの途中で車を降りて景色を楽しめるように作られている。太平洋に沈む夕日を眺めるのに、絶好のロケーションだ。

 ゆっくり入っていくと、そこにはすでに何台かの車が停まっていて、車を降りて海を見ている人たちもいた。

 空き缶を引きずった車はもちろん注目を浴びた。

 秋とはいえ半袖でも十分な気候だ。タキシードで降りていくのははばかられて、俺はジャケットを脱いで後部座席に置いた。

「脱いじゃうのかよ」

「悪目立ちだろ」

「いまさらだと思うけどな」

 ジェイクはそう言って笑いながらも、自分もジャケットを脱いだ。

 その姿を見たら、「脱いじゃうのかよ」って同じように言いたくなったから、俺は苦笑するしかなく、それもたぶんそのままジェイクに伝わった。

「な? 惜しいだろ?」

「そうだな。でもサスペンダー姿もそそるからいい」

 ジェイクはわざとらしく鼻で笑って見せ、かえってまんざらでもない感が伝わったから俺は笑った。

 今日一日、俺たちはそうやって笑いあってばかりだ。幸福感と照れくささも全部伝わってるし、お互いにそれをまた喜んでるからどうしようもない。


 ふたりしていったん外に出てから、ビールとピザを持ち、波が打ちつける崖を見おろせるコンクリートの縁に腰を下ろした。

「汚すなよ」

「そっちこそ」

 笑って言いあってから、ビールの栓を開け、軽い音を立ててぶつけ合った。大きな氷がたくさん入った袋に栓抜きごと放り込まれていたビールはよく冷えていた。

 ペニーは、俺たちのこんな行動まで全部先読みしてたのかもしれない。

「食べる暇なかったでしょ?」ってウインクも添えてビザの箱を渡されたときにはちょっと驚いたけど、あの人ならそれも不思議じゃない。

 さっさとピザの箱のふたを開けた俺をよそに、ジェイクはビールを一口飲んだあと、だんだんと暮れていく海を眺めて言った。

「まさかここにまた来るなんて」

 彼のその台詞は、ブルーから紫に変化しつつある海と空の色に感動したから、だけじゃなかった。

 わかってたから、俺は返した。

「あの時は景色なんか見えなかったけどな」

 もう何年も前のことだけど、俺たちはまさにこの場所に停めた彼の車の中で「ヤった」ことがある。お互いにドレスホワイトを着たまま。まさしく若気の至りというやつだ。

「わかっててここに停めたのか?」

「もちろん」

 俺がそう言って返すと、いろいろ思い出してたらしいジェイクはいたずらをたしなめるような顔をした。

 だから俺はわざと、彼がときどき「そうやって誘うのやめろ」って言う顔をして見せて言った。

「やっぱり今日はドレスホワイトにしなくて正解だったよな」



 式の準備を始めたとき、俺たちが一番悩んだのは「何を着るか」だった。もちろん真っ先に浮かんだのはドレスホワイトだったんだけど、俺は退役してしまったからもう着れないし。

 それで俺たちは、制服以外で「相手に着て欲しいもの」をそれぞれ同時に言うことにした。相手の希望に引きずられないようにするためだったのに、なぜか「黒いタキシード」で一致したんだ。

 いつも何もかも正反対の俺たちが、珍しく一発で意見が一致した瞬間だった。実際、制服姿はお互いにさんざん見てるけど、タキシードはなかったから。

 とはいえ、「黒のタキシード」と言っても素材やデザインのバリエーションは結構あるんだ、とオーダーするときになって知った。

 俺たちはお互いに、自分が着るものじゃなくて相手に「着て欲しい」のがどういうデザインなのか、真剣に悩んで細かく指定しあったんだ。

 結果、今日俺が着ていたのはゆったりめのダブルのタキシードで、ラペルはシルクで幅が広く、かなりクラシックなイメージのものだった。

 一方でジェイクが着てたのは細めのベルベッドのショールカラーで、全体的にぴったりとしたシルエットだ。

 フェニックスには「あんたが選んだにしてはずいぶん今どきっぽいデザインじゃない?」ってからかわれた。俺は「どういうのを着てるジェイクが見たいか?」 って基準で選んだから、べつに流行を考慮したわけじゃないんだけど。

 まあどういう理由にせよ、結果的に俺たちが選んだタキシードはかなり対照的なものになったというわけだ。ぜんぶ「俺たちらしい」式にしたいと思っていたから、その希望通りだ。

 そして、今日の彼の姿は本当に惚れ惚れするほどハンサムだった。

 何を着てたってジェイクはジェイクだけど、彼が今日の装いをすごく誇らしく、そして喜んで着てくれていたのが伝わったからなおさら。

 そしてそれは、俺ももちろん同じだったんだ。

 けど。



「ドレスホワイトにしてたら、また車ん中でやるって言いだしてたか?」

 ジェイクは面白がってる顔でそう言ってきた。

 ジャケットを脱いでようやくちゃんと見えたシャツは、硬めのウイングカラーに細かいプリーツが入ったフォーマルなタイプで、「ハングマン」のイメージにぴったりだ。

 無造作にコンクリートの上に腰を下ろしてるトラウザーズがぴったりしたデザインだから、細めのカマーバンドとサスペンダーとの組み合わせもあってなんだか妙にセクシーに見えて目のやり場に困った。

 あげくそんな話振ってくるなんてわざとか? って言いたくなる。

 もっとも、別に照れる話でもないのかもしれないけど。だって今はもう、彼は俺の「夫」なわけだから。

「言わないよ」

 俺があっさり返したら、彼はちらりと眉を上げた。

「まあ、まだ明るいしな。先客もいるし」

 駐車場にいた他の人達の視線は、痛いほど感じていた。この飾り付けがされた車がこんなところで停まって、降りてきたのが俺たちだったわけだから、そりゃあびっくりしただろけど。

 ちらりと、車を降りてきて写真を撮っている中年のカップルのほうに視線を流しながらジェイクが笑ったから、俺は返した。

「そうじゃなくて、もう焦る必要ないから」

 せっかくいいホテルを取ったんだし。そう思って俺が返すと、ジェイクはピザに手を伸ばしながらまたちらりと俺を見た。

 ふうん?

 はっきりと挑発するような視線を感じて、俺は笑って誤魔化すしかなかった。

 どういうつもりだよ、車停めてピザ食おうって言ったのはおまえなのに?

 そう問いたい気もしたけど、言うのはやめておいた。

 お互いに、今すぐ相手の服を全部はぎ取って、隅々までキスして、さっきみんなの前で言ったばかりの「誓い」の言葉を改めて実感したいと思ってる。

 きっちりフォーマルにキメた姿はすごくいいけど、乱してしまいたい欲もある。そしてそれは俺だけじゃなくてジェイクもだ。それは視線で感じるし、ちゃんとわかってる。

 でも同時に、今日は特別な日だから、そのままベッドになだれ込むんじゃなく、記憶に残るようなことをして、じりじりと、期待に焙られたあげくに抱き合うのもいいんじゃないかと、俺は思っていた。

「確かに、お互い砂まみれだしな」

 ジェイクはそう言って笑ってピザに手を伸ばしてきた。

 式はハードデックでやった。砂浜にテーブルと椅子をたくさん並べて。花がたくさん飾られ、ドレスアップした人たちがたくさん集まって、「なじみの店」はいつもと全然違う雰囲気になった。

 今日もとてもいい天気で、俺たちは日差しを浴びながらみんなの前で結婚を誓って、いつもの仲間とも久しぶりに会う人達ともたくさん話して、そしてまあその間に、ずいぶん潮風も浴びたわけだった。

「今舐めたら塩味になってそうだよな」

 そう言ってジェイクを見たら、ピザを頬張った彼は笑って言った。

「試さないのか?」

「だから煽るなって」

 そう返してから、俺はずっと首を締め付けてたタイをほどいて、ボタンを二つ三つ外してしまった。ほっと息をつける気がしたけど、ジェイクの視線がそこを離れないのも感じる。

「煽ってるのはおまえの方」

「かもな」

 そう言って笑って、俺もピザに手を伸ばした。

 腹ペコだったし、指にオイルが滴る感じの、濃いめの味付けのおかげでかえって空腹を意識して、俺は大きな一切れを口の中に押し込むと、汚れた指を行儀悪く舐めて、ビールに手を伸ばした。

「わざとやってるだろ?」

「なにが?」

 しらばっくれて言ってやって、それからちらりとジェイクを見たら、彼はわざとらしく視線を外して、あっという間に鮮やかな夕焼けになりつつある海の方へ目を向けていた。

「いい眺めだ」

「うん。最高」

 ジェイクのシャツは、夕焼けに染まってうっすらオレンジ色に見え、午後ずっと外にいたからか、それか何か「ほかの理由」でか、うっすら赤くなっているように見える肌とあいまって、色っぽいことこの上なかった。

 しばらく、ビール瓶を持ったまま眺めていたら、視線を感じたのか、彼がちらりとこっちを見て言った。

「なんだよ?」

「……いや。ほんとに俺のもんなんだな、と思って」

 最高の男を手に入れた。そう言って回りたいような気がしたけど、そういえば俺たちはここに派手に飾り付けた車で乗り付けたんだった、って思い出した。

 でもジェイクは呆れた顔をして見せて言ったんだ。

「今やっと?」

「うん、まあ、式の時にも思ったけど」

 たぶんこの先も何度でも、俺はこの奇跡に驚いて改めて噛みしめるんじゃないかと思う。

 でもそう思ったら、彼は言った。

「……ぜんぶそのまま、俺も思ってることだ」

 !

「そうか。それってすごいな」

「うん」


 いつも何もかも正反対の俺たちが、珍しく一発で意見が一致した。

「当日は黒いタキシードで」

 そう言いあった瞬間、俺はそう思った。

 でもこれからは、こういう瞬間がもっと増えるのかもしれない。それって素直にすごいことだな。

 俺はそんなふうに思って感動してたんだけど、あくまでも現実的なジェイク・セレシン大尉はちょっと違った。

「……ほら、さっさと食えよ。冷める。それに暗くなる前に食って、空き缶外さないと」

 いつも何もかもすっかり一致、ってことにはたぶんならないんだな。そう思って俺は笑い、頷いて返した。

「はいはい、急ぎますよ」

「なんだよ?」

 俺が口に出さなかったなにかを感じたらしく、ジェイクはちょっと不満そうな顔をして、そして言った。

「……のんびり屋はわかってるけど、いい加減限界ってものもあるからな」

 限界? なにが?

 俺はそうわざわざ聞いたりはしなかった。


「最高の一日」はまだ終わってない。

 そしてどちらかと言えばまあ、これからが本番というところだから。

 
 
 

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