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狂気: RH展示 20230503 ④

  • 執筆者の写真: ろばすけ
    ろばすけ
  • 2023年5月2日
  • 読了時間: 15分

Take Your Breath Away 3のおまけだった話です






 裸のまま仰向けになって、ただ目を閉じていた。

 からかうような、問いかけるような指が脚を辿って行って、彼が何を気にしているのかわかった。今俺の体はここ数日の飛行訓練でアザだらけになってるから。

 だから、俺は言った。


「頭がおかしいって言われたことがある」

「はあ?」

 あんまりにも唐突だったらしくて、彼はそう言って目を見開いた。まあそうだよな。わかるけど。


 さんざんやったあとだった。安いモーテルの一室。いつもだったらさっさと帰る時間だ。

 でも今日はなんだか疲れていた。このままゆっくり眠れる場所だったらよかったのに、とちらりと考えたことを、冗談じゃないと自分で否定しながらも、俺は動かず、目を閉じたまま、ただ言葉を続けた。


「耐G訓練のあとでアザがひどいときとかは、あんまり服を脱いだりしないようにしてたんだけど」

「……ああ、それはまあわかる、けど」

 けど「頭がおかしい」ってなんだよ?

 そう問いかけてくるような視線を目を閉じたままでもしっかり感じながら、俺は続けた。

「ちょっと緊急事態があってアザになったんだけど、もう慣れっこだし気づいてなくて。

 その日は元々、当時付き合ってた彼女と会う約束があったんだけど……」


 俺たちはこうやって時々寝る。そうなってからもうけっこう経つ。

 けど、俺には付き合ってる相手もいるし、彼が普段どうしてるのか、俺は知らない。聞こうと思ったことはないし、彼も話題にしない。


「結局ベッドに入ってから「どうしたのこれ?」ってことになって」

 ネタ的に話したつもりだったんだけど、真剣に引かれたときの彼女の顔を思い出して、俺はちょっと笑った。

「職業は話してなかった?」

「まさか。話してた。でももちろん、そんなに詳しくってわけじゃなくて」

 ああそうだよな、みたいに頷いたのが伝わってきて、俺はちょっと笑った。

「でも仕方ないから、その時はじめてGが掛かるとどうなるか、とか、わりと具体的な話をしたんけど.......」

 そのとき、彼は言った。


「ああ、それで「頭がおかしい」か。

 まあ、仕方ないよそういうもんだ」


 もう何年も、こいつがなにをどう考えてるのかはさっぱりわかんない。

 俺はそう思いながら過ごしてきた。

 なのにこいつはよく、ほんとうに安易に、「わかる」みたいな顔をするし、こうして簡単に言ってくるんだ。

 ほんと、むかつく。



 きついけど怖いとは思わない。

 もう飛べないって言われる方が怖い。

 時々ずっとこうして飛んでいたいって思うことがある。


 わかるに決まっていて、それでいて絶対簡単に言って欲しくない言葉がそのまま連なりそうで嫌で、俺は勢いよく起き上がり、そのままベッドを出た。

「ん?」

「帰る」

「.....今?」


 お前が始めた話だろうがよ。

 そんな疑問と非難が両方詰まったような顔をされたけど、俺は無視した。

 シャワーも浴びずさっさと服を着て、アブリでタクシーを呼びながら。

「じゃあな、またな」


 また、がいつなのか俺は知らないままだった。

 たぶんその方がいいんだ。なにも考えない方が。

 お前の言いたいことは全部わかる。そんな顔されたらどうしていいかわかんないから。

 実際俺たちはなにもかも正反対みたいだけど、飛んでるときのあの感覚がわかる相手はそういないってわかってるから。


 だから俺はそっけなく言葉を切り、さっさと帰るんだ。









寒波




「ほらこれ」

 コートを着込んだところでそう言って差し出されたのは、ニット帽だった。

「え? いや、俺はいい。似合わないんだ」

 かぶり物は苦手だ。事実だったからそう返したんだけど、ブラッドリーは引かなかった。

「今日は特に冷え込んでるからとりあえず持ってけ」

 彼はそう言って、強引に俺のコートのポケットに黒いのを一つつっこんできて、そしてもう一つ青いのを無造作にかぶって見せた。


 こっちの冬は、俺が暮らしてるあたりとはかなり違う。

 冷え込みはするけどずっと乾燥してるリモアと違って、雪が降るし積もって残るし、朝晩は強烈に冷え込む。

 家のなかは冬暖かいようにできてるから快適だけど、外は。

「!」

 一歩出て思わず足を止めた俺に向かって、彼は笑って言った。どこかちょっと自慢気に。

「な?」


 たまには冬の散歩もいいよな。

 そもそもそう言ったのは俺だ。前に来た時だけど。

 少し離れた場所にある店に行ってみたいから歩くのはどうだ? って提案したんだ。二十分も歩けば着くような距離だけど、どうせならそのあたりにある店を見て回ろうと話しもした。

 でも1月も下旬の今、正直ここまで冷え込むとは思ってなかった。

 俺はマフラーを巻き直し、それからすぐ隣を歩き出したブラッドリーをちらっと見た。

 太めの糸で編まれたビーニーはいかにもカジュアルな感じで、分厚いダウンを着込んで一回り膨れて見える服装に似合ってる。

 ブラッドリーはキャップもたくさん集めてて、何かかぶるのが好きみたいだけど、俺はほんとうに苦手だった。似合ってる気がしないから、ほとんど持ってない。

 けど。

 かろうじて歩道は避けてあるけど雪が残りあちこち凍っている状態で、外気はきんと冷えていた。

 コートとマフラーで体はあたたかい。手はポケットに突っ込んでしまえばいい。でも。

「……なるほど。わかったよ。頭が寒いってことなんだな」

 そう言うと彼はまたあのちょっと自慢げな顔で言ったわけだった。

「悪いことは言わないからかぶってみろよ。全然違うから」



 ポケットの中であたたまっていたビーニーは、彼が今かぶっているのに比べるとだいぶ薄手だった。

 それでも思いきってかぶってみると効果に驚く。

「な?」

 暖かいだろ?

 そう問いかけてくる目が笑っていて、頷かないわけにいかなかった。

「全然違う、けど。…….これでいい?」

 どうせかぶるなら確認してから出てくればよかった、と俺は思った。鏡もないし、適当にかぶっただけで今どんな姿になってるかわからなくて落ち着かない。

 俺が一瞬足を止めて向き直って見せると、ブラッドリーは柔らかく笑って言った。

「大丈夫、似合ってる。お前はいつだって格好いいよ」



 そんな軽い決まり文句みたいに言いやがって。

 そう言い返してやりたかったけど言わなかった。

 You Look Good.

 そう言われるのが嫌なわけがない。もうとっくにばれてるし。



「リモアも冬はまあまあ冷えるけど、やっぱ根本的に違うんだよな」

 ブラッドリーはもう一度歩きだしながら、白い息を吐いてそう言った。

「ああ、そうだな」

 こんな冬は、俺はアナポリスに入るまで知らずに育った。帽子もかぶらずに歩いていると、きんと頭が痛くなるような、張りつめた空気。

 でもこれも、悪くない。

 悪くないけど、でも俺の口は素直じゃないので。

「お前がこないだ来たときに、「どこの山から降りてきたんだ」って感じだった理由がよくわかった」

 こんなにでかいくせに寒がりか? ってさんざん笑ったら、体の大きさは関係ないだろ、って不貞腐れてたんだ。

 その顔まで思い出してちょっと笑ったら、ブラッドリーはあきれ顔で言った。

「標準装備がそもそも違うんだよ。あっちじゃ暑いって気付いてすぐ脱いだだろ」

「そうだけど」

 これだけ気温差があったら、確かに季節が一歩早い感じがするわけだ。

 本当はそう納得してたけど。



 改めて、俺たちを隔てる距離を思う。

 こんなに離れてて、でもお互いに連絡取り合って、行き来して。まったく、昔とは大違いだな、俺たち。

 そう思って、もう一つ思いついて、俺は言った。

「頭は暖かくなったけど手が寒い」

 そう言って、彼のダウンのポケットに片手を突っ込んだら、彼は目を丸くした。

 そして俺も驚いた。大きなポケットの中はびっくりするくらい暖かかったから。

「ポケットじゃなくてこっちがいいだろ」

 ブラッドリーはそう言って俺の手をポケットから引っ張り出して、そして指を絡めてきた。

 俺より二回りくらい大きな手は、いつも少しだけ体温が高い彼の肌の感触そのもので、俺は路上でガタイのいい男二人で手をつないでる、っていう光景になんだか動揺したけれども、でもやっぱり振りほどく気にはならなかったんだ。







ブレイン・ストーミング



 

 大陸の端と端で通話をつなげて。

 お互いのスケジュールを見て今夜時間を取ったのは、 盛大な結婚式をやるのか、カードでも送るか、それとも別に何もしなくていいのか。それを話し合うためだった。

 そもそも選択肢が多すぎる問いだけど。

 どうしても知らせておきたい相手にはもう話してあるんだし、わざわざパーティーなんてしなくていい。最初はふたりともそう思っていた。

 けど、軍での手続きとかを調べていくと結構面倒だということがわかり、思いもかけないところから、思いもかけないことを言われることが増えた。

 それでやっぱり式はやろう、ってことになった。そこまでは決定済み。けど。

 でも、じゃあ、どこでどんな式にするのがいい? って問われると、それはそれで難しいんだよな。


 どんな式にしたい? 今まで出席してきた結婚式の中でイメージに近いものはあったか?

 ジェイクにそう問われて、俺は答えに詰まってしまった。

『さんざん出席してきただろ?』

 ただ唸っている俺の反応を見て、ジェイクはわかりやすく呆れた顔をした。

 もちろん、他人の結婚式にはこれまでさんざん見てきたけど、それとこれとは別の話だろ?

 でも彼は困ったやつだな、って顔をしながらも言った。

『とりあえずパーティーはハードデックでやりたい。ペニーはダメだとは言わないと思うんだけど。どう思う?』

 ジェイクのその問いかけに、俺ははっとして頷いて返した。

「もちろん。あそこでやりたい?」

『どうせやるならこの間のBBQで集まったメンバーには来てほしいし、それなら場所はやっぱり』

「いいね」

 サプライズでマーヴの誕生日祝いをした日の記憶は、俺たちにとっても特別なものだった。みんなが笑顔で、空も海も輝いてて、あの場所で起きたいろんなことが全部幸せな記憶に塗り替えられた感じがした。

「すぐペニーに電話するよ。でも、おまえの家族にとったらちょっと遠いかも?」

『旅行ができるって喜ぶだけだろ。問題ないよ』

 ジェイクはそう言って笑い、俺も同時に彼の両親や姉たちの笑顔を思い出して、そうだな、と思い直した。

 そして改めて、彼らが俺たちを祝福してくれていることの重さを思い出した。

 式をするって決めたのは、必ずしもそんな人ばかりじゃないと改めて身に染みたから、っていうのもあったからだ。


『そういえばこの間うちの隊で、初めて同性婚したやつが出た』

『すげえ勇気あるな……』

『それって実際どうなんだ? 自分で茨の道を選んでないか? なんか良いことあるか?』

『よそならともかく軍ではな。黙って「独身です」って言ってる方が楽だろうに』


 もう何年も前のことだけど。バチェラー・パーティーの席で、同性婚について仲間だと思ってた連中が言ってたことだ。

その場にはジェイクもいて、笑っている友人たちの会話を聞きながら、その時だけはしんと静かな目で俺を見ていた。

 そのころの俺たちは、付き合ってないどころか、フライトスクールを出てからしばらく会わずにいた時期だった。結婚なんてお互いの頭に欠片もなかった。それでもなんだか、改めて現実を見せつけられた気がした。

 あの晩、彼が俺の部屋にやってきたのはどういう心境だったんだろう。

 久しぶりに明け方までヤって、翌日の式で正装した彼が変になまめかしく見えて、ものすごく困惑したことまでよく覚えてる。けど。


 黙って「独身です」って言ってる方が楽だろうに。

 俺たちは実際その通りだって実感したばかりだった。俺は退役したけど、ジェイクは上を目指そうとしてる。それなのにわざわざそんなマイナスしかなさそうな宣言をして回る「必要」はほんとうはない。

 でもジェイクは言った。

『優秀で、アナポリス出身で白人で。何のマイナスもないまま出世したってたいした自慢にもならない』って。

 この上もなく彼らしい台詞だと思った。自分が優秀だと自負してるし、実際事実だけど、特権に胡坐をかく気はない。そう宣言するつもりだって。

 式の準備の過程で意見が合わなくて、結婚をやめるカップルだっている。そんな話も聞いたことがあったけど、俺はむしろ惚れ直したパターンだな。

 俺は改めてそう思い、そして言った。

「ハードデックでやるなら、パーティーだけじゃなくて、そもそも人前式にしよう」

『?』

 ジェイクはちらりと疑問符を浮かべて見せたけど、俺は続けた。

「これまでろくに通ったこともないのに式だけ教会でなんていうのも不思議だし、俺はなにかを「誓う」ならあの連中に対してっていうのがいいよ」

 おまえの次に大事なのは、今顔が浮かんだ、俺たちを祝福してくれる家族や仲間たちだから。

 そう思っているのは、たぶん通じてるはずだ。

 そしたらジェイクは静かに頷いて見せて、俺をまっすぐ見て言った。

『俺も、それがいい』

 彼はその時、すごくきれいに笑った。

 俺はその笑顔を見て、どうして今目の前に彼がいないんだろうって毎日のように思ってることをまた思ったんだけど。

 でもきっといい式になるに違いないって確信しもしたんだ。

「とりあえずペニーに電話する」

 日取りだけは決めてあった。スイムコールの日からちょうど一年後が今年の日曜日だ。


 準備は手分けしてやろう。

 最初からそう言いあってはいたけど、ようやく、なにをすればいいかがぼんやりと見えてきた気がした。

「……楽しみだな」

 思わずそう言ったら、ジェイクは笑った。

『初めて言った』

「? そんなことないだろ?」

 とっさにそう返したけど、まあ、確かに口に出したことはなかったかも?

「……楽しみに決まってる。俺がプロポーズしたんだぞ」

『わかってるよ』  

 ジェイクはそう言ってまた綺麗に笑った。



日常




「ブラッドリー・ブラッドショー!」

 ジェイクはそんなとき、いつもその「特別な」声で、「夫」をフルネームで呼んだ。

 もちろん完全に、部下を叱責するときの声だし、その瞬間ブラッドリーは二十年近くの軍属で染みついた反射で彼のところに飛んでいって背筋を正してしまう。そして「イエス、サー!」とぎりぎり言いそうになるのを飲み込むことになるのだ。


 その日は、相変わらずストイックな彼のパートナーが、朝のランニングから戻ってきた気配がしたばかりだった。

 ブラッドリーはベッドの中でまどろみながら、この心地いい空間から出ようかどうしようかと迷っていた。

 今起きれば、彼がシャワーを浴びて出てくるのに合わせて朝食を用意してやれる。そうわかっていたが、深夜に帰宅したばかりの体は、今朝は朝食を用意してもらうのは自分のほうでよいではないかと主張していた。

「雄鶏のくせに寝汚い」

 お互いに言い飽き、聞き飽きた言葉だったが、今日もまた聞かされることになるかもしれないな……。

 ブラッドリーがベッドの誘惑に負けてそう思ったところだったのだ。

 だがその瞬間自堕落な選択肢は消えた。


 ブラッドリーが慌てて階下のランドリールームへ走っていくと、運動してきたばかりで上気し、うっすらと汗をかいたジェイクが立っていた。その姿は彼の目にはひどくセクシーに見え、普通に起きて出迎えたなら、そのままそそられてキスしていたに違いない様子だった。

 けれど。

 ジェイクの表情は冷たいもので、右手はランニング用に彼が愛用しているジャージを履いた腰に当てられ、もう片方の手は、そこに置かれている洗濯カゴを指さしていた。

 ブラッドリーは体に染みついた直立不動の姿勢を保ったまま、小さくため息をついた。

 見えたのは、ひっくり返って丸まったままの、彼が昨晩脱いだ靴下だ。しかも片方は放り込んだ時に外れたのか床に落ちている。

「……ごめん」

「これで、この先ひと月おまえが洗濯担当決定な」

 う。

 昨日は、帰宅が深夜になって、疲れてて、それどころじゃなくて。今すぐ直すし、今日は俺がやるから。


 言いかけた言葉を無理やり飲み込んだブラッドリーを見て、ジェイクは冷静に返した。

「約束は約束。そうだったよな?」

 そしてもちろんその問いかけに、ブラッドリーは頷いて返すしかないのだ。






マルセイユ




『今、マルセイユだ』

 家で分厚いマニュアルを読んでいる時間だった。

 ふいに入ってきたそんなメッセージのすぐ後に、まぶしいくらいの青空と、教会らしい古い美しい建物が映っている写真が送られてきた。

 もちろんジェイクからだ。

 数ヶ月の海上勤務の間、連絡は途絶えがちになる。それは当然だ。でも巨大な空母も、どこにも寄港せずずっと海の上にいるってわけじゃない。

 思わず顔が笑ってしまうのを感じながら、俺はすぐに電話を掛けた。

「昼間だな。今大丈夫か?」

『ああ。そっちは何してた?』

「お勉強中」

 笑い声と一緒に、「そうか、がんばれよ」って答えが返ってきた。同時に彼の周囲のざわめきも耳に入り、俺は彼が仲間と一緒にいるんだろうと気づいた。

「食事中か。ごめん」

『いや、大丈夫。もう食ったんだけど、あんまり気持ちいいからみんなだらだらしてた』

「どこにいるんだよ。見せて」

 ねだったらすぐにカメラが入って、小さな端末の画面に、レストランのテラス席らしき様子が映った。

 ジェイクはカメラを持って立ち上がったんだろう。画面の映像がゆっくりと動き、たくさんの、まぶしいような光の下で食事をしている人たちが映った。

 そして彼はそのままテラスの端まで行って、オレンジ色の屋根が連なるいかにも南仏っぽい街並みと、びっしりとヨットが停泊した港の向こう、高い丘の上に教会の建物が見える景色を映し出した。

 俺はすぐにその遠くに見える教会が、最初に送られてきた写真に映っていたものだと気づいた。なんとかっていう有名な教会。俺も初めてマルセイユに行ったとき、仲間と観光に行ったことがある。たぶん。

 でも。

「俺が見たいのは景色じゃないんだけど」

『料理はもう食べちゃったよ』

「料理でもないよ。わかってるだろ」

 わざわざ見当違いな答えをよこして笑っているジェイクに、意地が悪いな、という意図を込めて返したら、彼はようやくカメラを切り替えた。

 テラスの端、小さな照明がたくさんつけられていてきっと夜は光るんだろう手すりに寄り掛かって、ジェイクが笑っていた。

『そっちのカメラはオフのままか?』

 そう問われて、俺は自分が何もしてなかったことに気づいて慌ててカメラを入れた。

「残念ながら、背景はうちのリビングで変わり映えしないけど」

 俺はそう言ってみせた。ふたりで暮らすために用意した部屋は、ひとりだと妙に広く感じる。

 そんなことは言わないようにしていたけど、うらやましいような景色のただなかにいるっていうのに、彼はため息をついて返してきた。

『……見ると帰りたくなるな』

 それを聞いて、俺は思わず笑った。


 もちろん会いたい。まだひと月以上帰ってこないってわかってるからなおさら。

 でも同時に、「帰りたい」って言ってる場所が今自分がいる家だってことがなんだかまだくすぐったく思えるし、やっぱり嬉しくもある。

「そっちは暖かそうでいいな。でも牡蠣には気をつけろよ?」

 映像に映っていた、他の客たちのテーブルにはだいたいシーフードが山盛りになっていた。きっと彼らも食べたに違いない。牡蠣はジェイクの大好物だし。

 だからあえて言った言葉に、ジェイクは呆れた顔で笑った。

『おまえがトゥーロンでひどい目に遭ったって話はもう聞き飽きたよ。それにもう食い終わった。いまさら気をつけようがない』

 一度当たってひどい目に遭ってから、俺は二度と牡蠣だけは食べないと心に決めていた。確かに何度も、その話はしたかもしれない。シーフードレストランに行くたびに。

 その時、誰かの声が彼のコールサインを呼んだのが聞こえた。

「もう一度できなくて残念だ」

 俺がそう言ったら、ジェイクはなんだか甘ったるいような声で言った。まあそう聞こえたのは、単に俺の希望に過ぎないかもしれないけど。

『また、帰ったらな』

 その言葉に、俺は笑って頷いて返した。





 
 
 

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