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20220207「チョコレート」#jktm

  • 執筆者の写真: ろばすけ
    ろばすけ
  • 2023年2月7日
  • 読了時間: 16分

更新日:2023年2月10日

去年のお誕生日に書いたのの再録

jktm(近未来AUみたいなやつです)








 毎週月曜日に、俺は決まった電車に乗る。

 ロンドンまで三時間弱。毎週通うなんて最初は断ろうかと思った仕事だったんだけど、習慣になると列車での時間の潰しかたも慣れたものになる。

 俺はいつも、乗るとまず熱いお茶とチョコレートを買う。そしてときどきチョコレートに手を伸ばしながら仕事をする。PCはかばんに入っているけど、たいがいは愛用のノートにメモ書きだ。列車の中はぼんやり考え事をするのにちょうどいいし、俺はわりとアナログな人間なので。


 買うチョコレートはいつも決まっていた。最新鋭の車内には、スナックや飲み物を積んだロボットカートが何度か回ってくるんだけど、そこで売ってるやつ。この列車でしか見かけないけど特別高くもなく、割とおいしいので気に入っている。

 でもその日は、まだちょっと前の晩の酒が残っていた。

 新しい年を迎えたばかりで、強烈に冷え込んでる中を起きて駅まで行っただけたいしたものだと思うくらいには眠かった。いつものようにチョコレートとお茶は買ったけど、暖かいシートに体を落ち着けたらすっかり気が抜けて、眠ってしまっていたんだ。たぶんあっという間に。


 目を覚ましたのは、いつの間にか誰かが向かいの席に座っていて、その人物が荷物を床に落としたか何かした気配がしたからだった。寝ている間に何度か停車したはずだ。もう半分以上きたのかもしれない、と俺はぼんやり思った。

 最先端技術を使った美しくも未来的なデザインの列車だけど、座席は昔と同じ、二人ずつ向き合うような設計だ。真ん中には細長いテーブルがある。折りたためるけど、俺はいつもそれを出したままにして、チョコレートやお茶を置いていた。

 半分寝たままうっすら目を開けて確かめると、窓際で足を伸ばして座って寝こけていた俺の斜め前に座っていたのは、俺より少し若い男だった。

 きれいな金髪が、だいぶ高くなった日差しに照らされて輝いていた。

 彼はテーブルに半分立てかけて分厚い本を読んでいた。俺が買ったチョコレートがその本のすぐ隣にある。彼は丸っこいフレームの眼鏡をかけていて、本に集中しているような様子だった。

 きれいな顔したやつだな、とぼんやり思った。視線が伏せられているから、長いまつげがことさらに目についた。まぶしいのか、若干眉をひそめているような難しい顔をしてたけど。


 開いている本のタイトルは見えないけど、座席には大きめの使い込んだバックパックが置いてある。服装もカジュアルなものだった。学生だろうか。

 そんなことをつらつら考えながら、俺はちょっと不躾なくらいに彼を見てしまっていた。笑ったらどんな顔してるのか見たいと、たぶんその時から思ってた。

 彼のほうは目もあげない。視線に気づかないほど集中してるのか、それともわかってて無視してるのか。

 きっとまだ寝てると思われてるんだろうな、と思いながら、俺がまたぼんやり眠ってしまいそうになっていたところで、彼がふと本から目をそらした。

 そして。

 驚いたことに、彼はすぐに本に目を向け直しながらも、片手を伸ばしたんだった。テーブルの上においてあった、俺のチョコレートに!

 俺は寝たふりも忘れて彼をじっと見た。

 箱はすでに一度開けられた形跡があった。だから片方の指先だけで簡単にまた開ける。彼は小さな箱のなかに行儀よく収まっているチョコレートのひとつをつまんで、そのまま迷わず口に放り込んだ。

 俺はあっけにとられてそのなんの迷いもない動きを見ていたけど、わかった気がした。

 彼は、俺が彼を見てるのを十分わかった上で、あえて俺のチョコレートに手を出してきたんじゃないか? と。

 なんだか挑戦を受けてるような気分になって、俺はだらしなくシートに預けていた体を起こし、彼の顔を改めて正面からガン見した。

 ? するとさすがに気づいた彼が問い返すような視線を向けてきた。

 それで、俺は彼と目を合わせたまま、彼と同じように片手をチョコレートに伸ばし、ひとつつまんで口のなかに放り込んだ。

 つい習慣的にチョコレートを買いはしたけど、二日酔いだし食べるのはあとでいいや、って思っていたはずだったのに、すっかり忘れていた。いつもと同じチョコレートのはずなのに、なんだか刺激的な味がするような気がした。

 だって俺は彼の「挑戦」に返したつもりだったから。そもそもなんでそんな「挑戦」をされるのかは、さっぱりわかんなかったけど。

 なのになぜか、彼もすごく驚いた顔をした。呆れたように眉が上がった。でも、俺があえて平然とした顔でいるのに気づいたのか、ちらっと笑ったんだ。

 ああやっぱり可愛いな。

 どうかしてると思うけど、俺はその瞬間そう思っていた。さっきまでのすごく難しい顔もきれいだと思って見てたけど、笑うと急に幼くなるって知ったから。

 深い青い色をした瞳が見えて、俺は、これは挑戦を受けたというよりもむしろすごいチャンスと思うべき、と気づいた。それで口を開きかけたんだ。なにかたぶん、間抜けな挨拶みたいなことを言いかけた。


 でも。

 でも何も起きなかった。彼はちらりと笑って、肩をすくめてまた本に視線を戻してしまった。

 俺は正直すごくがっかりしたと思う。

 仕掛けてきたのは彼のほうだ。でもからかってみたけど別にそれ以上関わるつもりもない、って意味だろ?

 ここでしつこくするのはいかにも格好悪く思えてきて、俺は急に我に返った。

 考えてみれば、毎週乗ってる、これから仕事に向かう列車の中でそんな「特別なこと」が起きるはずもない。

 彼の行動にちょっとどきどきしたけど、それはなにかが始まるサインなんかじゃなくて、単なる小さないたずらってなんだろうと。


 がっかりしたけど、俺はしかたなくいつも通り仕事して残りの時間を過ごした。

 ちらりと窓の外に目をやると、列車はちょうど途中の駅を通過しているところだった。駅名が見えて、ロンドンまでもうそう遠くないとわかる。

 テーブルの上にはすっかり冷めきった紅茶のカップが取り残されていたから、俺はそれをとりあえず飲み、いつも列車の中で開いているノートを取り出した。けど、頭はちっとも仕事に向かってくれなかった。


 向かいの席で、彼は相変わらず難しい顔で本を読んでいる。

 なんとなくもうじろじろ見るのもNGな気がしたけど、さっきの笑顔が頭に残っていた。

 こういう記憶力だけは無駄にいいんだよな、俺。

 気づいたら、開いたままだったノートに、俺は走り描きを始めていた。


 絵は仕事じゃないけど、仕事のために描く機会がわりとある。走り書きみたいなスケッチでも、あったほうが話が早いから。

 下手だけど、割と変なところで評判がいいんだ。たぶん「味がある」的なやつ?

 一瞬見ただけのやわらかい笑みをどうにか残しておきたくて、俺は繰り返し描いては大きくバツを付けた。そして数ページ無駄にしてようやく、ちょっと特徴が掴めた? と思えるようなのを描けた。

 降りるときに本人に見せようかな、とちらっと思った。

 チョコレートはモデル代、的な意味で通じたらいいなと思い、でもそれもなんだかうるさがられるだけだろうか? と躊躇し。

 だけど。

 そのとき列車は、終点の一つ手前の駅に停車しているところだった。降りる人はそんなにいないから、停車時間は短い。何人かが足早に降りていく気配がしていた。

 そしたら突然、目の前の彼がはっと気づいたような顔をしたんだ。そしてものすごい速さで置いてあったバックパックとコートをつかみ取って、読みかけの本に指を挟んだような状態で飛び出して行ってしまった。

 ここで降りんのかよ? って呆気にとられたときには後の祭り。

 ユーストンまで行くに違いないと思ってたのは、もちろん俺の勝手な思い込みだった。


 列車はすぐにまた走り始め、俺とチョコレートのパッケージだけが残された。見ると、中身はあとひとつしか残っていない。

 つまり半分彼が食べたのか、と改めて思って俺はちょっとおかしくなった。

 まあいいけどさ。そう思いながら、俺は自分が描いたスケッチを改めて見た。もう一回くらいあの笑顔を見たかったような気がする、と思いながら。

 せめて声くらい聞きたかったのに。いや。ほんとうに聞きたいのは名前とか連絡先だけどもういまさらだ。

 なんだか取り残されたような気分で、俺は最後のチョコレートを口に放り込んだ。

 もうさっきみたいな「特別な」味はしなかった。

 そして仕事は全くできないまま、終点のユーストンに到着した。


 停車して乗客が次々と降りていく列車の中で俺はコートを着込み、マフラーを取り出してノートをしまうために自分のバッグの口を大きく開け。……そして気づいた。

「なんで?」

 思わず声が出ていた。

 中には、さっき全部食べたばかりのチョコレートと全く同じ箱が、見るからに封を開けていない新品のまま入っていたんだ。

 混乱したままよくよく考えて、それで俺はようやくうっすら思い出した。

 そうだ、俺は乗ってすぐにこのチョコレートと紅茶を買って、でも食う気にはなれないなと気づいて、チョコレートのほうだけバッグに放り込んだ……。のかもしれない? と。

 じゃああのチョコレートは? まさか彼の?


 血の気が引く、というのはこういうことを言う。

 他人のチョコレートに黙って手を出して食ったのは、彼じゃなくて俺のほうだったんだから。






 翌週俺は同じ列車に乗り、停車駅のたびにホームと車内を厳重に監視した。でも3週続けてもずっと空振りだった。

 前から何人か見知った顔があるように思っていたけど、もちろんすべての乗客が毎週同じ列車に乗ってるわけじゃない。


 あの時の彼はもう二度とこの列車に乗らないだろう。そう考えるのが自然だ、と思いながら迎えた。4週目。


 その日は夜中からずっと雪がちらついていた。

 エジンバラを出てから雪はいっとき強くなり、列車は真っ白な世界をしばらく走った。

 ランカスターを過ぎるころには雪の気配はなくなっていたけど、風が強くて恐ろしく寒いことに変わりはなかった。強風のため少し遅れるというアナウンスが流れ、はっきりと徐行している気配を何度も感じながらもうしばらく走ったあと。

 マンチェスターの駅のホームで、俺はとうとう彼を見つけた。

 マフラーをぐるぐる巻きにして、分厚いダウンを着込んだ姿は、足踏みして列車のドアが開くのを待ち、開いたとたんに駆け込んできた。

 俺は慌ててドアのほうへ向かい。

「!?」

 車両のドアの前でほとんどぶつかりそうになってから、俺はいまさら、それでなんて言えばいいんだ? って焦った。けど。

「! この間の?」

 俺の心配をよそに、彼は俺を覚えていたようだった。

「そう。会えてよかった。あのときはごめん」

 君のチョコレートを勝手に食ったし、何なら君が俺のを盗んだくらいに思ってたんだ。勝手な勘違いで。ほんとにごめん。

 そう言うはずだったんだけど、どう考えても間抜けすぎる台詞だった。でも、俺が謝ったから、彼はどうやら何か行き違いがあったんだろうと理解してくれた。

「……あれはいったい何だったんだろう、とは思ってたけど」

 そう言って、彼はぎこちなくだけど笑ってみせてくれた。

 俺はもう降参するしかなくて両手を上げて返した。

「ごめん、とりあえず座って。事情を説明するから」


 俺たちは改めて、この間と同じように向き合って座った。

 彼がダウンを脱ぎ、マフラーを取って、とりあえず人心地つくまでの間俺は黙って待っていた。着こんでいた彼はちょっと上気した顔を俺に向けて、改めて言った。

「……それで? どんな「事情」があったって?」

 笑いの混じった言葉に、俺は説明を試みた。

 あの日は乗ってすぐチョコレートを買ったけど、二日酔いで、結局食べずに眠ってしまっていた。

その前に自分のチョコレートはカバンに放り込んだらしいんだけど覚えてなくて、目を覚ました時に彼がテーブルの上に置いてあった彼のチョコレートを、俺は勝手に自分のだと思い込んでしまって……。


「じゃあいきなり知らない人にチョコレート食べられたと思ってびっくりしたのは、僕じゃなくてあなたのほう、ってこと?」

 目を丸くされて、俺は正直に頷いて、それからカバンに入れてあったものを取り出してテーブルの上に置いた。

「!」

 彼はさらにびっくりした顔をした。

 最初に彼に会った翌週、俺はこの列車に乗るなり、いつものロボットカートで同じチョコレートを3つ買った。彼が乗ってくるのを期待しながら、持ってきていたリボンをどうにか格好よく巻こうと悪戦苦闘したんだ。

 どう頑張ってもリボンは不格好なままで、3週連続でただカバンに入れて持ち歩くだけになったんだけど。

「お詫び」

 受け取ってくれるかな? ってすごく心配だったから、テーブルの上を滑らせて差し出した後にそう付け加えた。それからどうやってもひん曲がってしまうリボンの端に手を伸ばして、直そうと悪あがきをした。

 そしたら。

 彼はどうしてもこみあげてくる笑いをこらえられない様子でくすくす笑い出し、そのうち本当に腹を抱え始めた。

「……そんなに笑うなよ」

「だって、こんなおかしな話ってある?」

 俺がちょっとうんざりした声で言ったら、彼の発作はますますひどくなった。

「まあ、俺もそう思うけど。でもとりあえず、これをやっと渡せてよかったよ」

 俺がそう言って頷くと、彼は気づいた、って顔で聞き返してきた。

「しょっちゅうこの電車に乗ってるの?」

「毎週月曜日に」

「そうなんだ大変だね。僕は月に一度だけ」

 彼はそう言ってまたちらっと笑った。もしかしたら、同じ電車に乗り合わせたのは、この間が初めてじゃなかったのかもしれない。

「そうか。それで3週空振りしたんだな」

 俺がそう返すと、彼はしみじみ俺の顔を見て言った。

「確かに驚いたけど、そんなに頑張るほどのことでもないのに」


 そう言われると、返事に困った。

 確かにチョコレートの値段自体はたいしたものじゃない。俺がむきになってたのは、もう一度会えたらちょっといい格好したかった、ってだけかもしれない。

「……そんなことないだろ。むしろ君のほうこそなんであのとき怒んなかったんだよ?」

 そう問い返したら、彼はちらっと考えるような顔をして、それから何か言いかけた言葉を飲み込んで、きれいに笑って言った。

「だって別に、チョコレートのひとつやふたつ」

 言いかけた言葉とは違う、ってすぐに分かった。けどそれをさらにつっつこんで聞くのも難しい。

 彼は俺よりは年下だけど、ちゃんと常識のある大人だってだけの話だ。

 本当は最初の時俺をどうしようもない「いかれたやつ」だと思ったとしても、それを今わざわざ言ったりしないってだけだ。


 それから俺たちは改めて名乗りあい、どうしてこの列車に定期的に乗ってるのかって話をした。

 トムは俺が包んだリボンを解いてチョコレートを一緒に食べようって言ったから、二人でつまみながら話を続けた。

 たあいのない、偶然乗り合わせた見知らぬ者同士の会話ってやつだった。ちょっとした行き違いがあってこうして話したけど、もう二度と会わなくても不思議はないような関係にふさわしい、当り障りのないやつ。

 本当は俺は、もう一つ彼に渡したいものがあった。

 あの時描いた絵は、持ち帰ってから改めて描きなおしていた。そして描きながら、もしもう一度会えたら、本人に渡したいと思っていた。

 だけど、たぶんそれは間違いだった。

 彼はあくまでもそつなく「礼儀正しい年下」って態度だったけど、もちろん偶然会ってしばらく一緒にいるだけの相手にはそれが普通の対応ってものだろう。

 俺は、うっかりチョコレートと一緒に絵なんて渡さなくてよかったな、って思わされた。

 本当は君が忘れられなくて、また会いたくてずっと探してたし、会えなくてももう一度描けって言われたら描けそうなくらい君の顔が頭に焼き付いてたんだ。

 そんなこと言える感じじゃなかった。

 それでそこからの1時間ほど、俺たちはただいい感じの世間話を続けたわけだった。


 そして。


「次で降りる?」

 アナウンスがもうすぐ彼が下りる、ロンドンの郊外の駅の名前を告げた時、俺は思わずそう聞いていた。前回彼が突然降りて行ってしまったのをよく覚えていたから。

 トムは頷いて、まだ残っていたチョコレートの箱2つとリボンを丁寧にしまい込みながら言った。

「これありがとう。大事に食べるよ」

「また来月会うかも?」

 俺はちょっとした期待を込めてそうつい言ってしまった。

 トムは頷いたけど、囁くように付け加えた。

「そうだといいね」

 それはどういう意味だろう? また会いたいとは思わない、か。

 俺は正直がっかりしたけど、むしろそれが当然だと思おうとした。

 彼も列車の中では、ひとりで過ごす時間を楽しんでたのかもしれない。毎回知らない男のおしゃべりに付き合わされるのは迷惑だ。

 来月彼はまたロンドンに行くかもしれないけど、マンチェスターからだったら選択肢はたくさんある。別に同じ列車に乗らなくたっていい。

 そう思ったら、俺はこれが最後だと思うべきなんだと思った。それで降りる支度をし始めた彼に言ってしまった。

 もうこれで最後なら。

「これももらってよ」

 そう言って差し出したのは俺が描いたスケッチだった。一応描き直して、ちらっと色もつけたやつ。

「?」

 ピーターはきょとんとしてたけど、俺は構わず続けた。

「あの時君を描いてたんだ。もう会えなかったら悲しいから、忘れたくなくて。でもまた会えたから、よかったら」

 こんなこと言ったら絶対次から避けられるのは間違いない。わかってたけど言うだけ言ってしまいたかった。謝れたから、一応の目的は達成したんだし。

 でもトムはあっけにとられたような顔でスケッチを見たまま何も言わなかった。

 そしてそうしている間にも、列車は彼が降りる駅に着いた。

 停車時間は短い。急いで降りなきゃいけない。

 でも、どういうわけか、彼はポケットから急いでペンを取り出して、俺が渡した紙の端に何か走り書きをして、そして突っ返してきたんだ。

「え?」

 受け取ってもくれないのかよ、と思ったのは一瞬だった。

 そこに書き込まれたのが番号だとわかったからだ。それに彼は、着ていたワインレッドのセーターよりもっと赤いかも? って顔をしてた。

 乗り込んできたとき厚着していたせいで上気していた顔より、もっとはっきりと。

「次に会った時にもらうよ」

 トムは言い捨てるようにそう言って、鮮やかに踵を返して列車から走り降りていってしまった。



 俺はもちろん、光の速さでもらった番号にメッセージを送った。

 彼からの返事は、ユーストンに着く少し前に返ってきた。つまり三十分くらいは掛かった。その間、俺がどんなにやきもきしたかわかる?

 でも書かれていた文章を読んで、俺は心から笑ったんだけど。


『ほんとうは最初にあなたがチョコレートに手を伸ばしてきたとき、ものすごく驚いたんだ。やばい人の前に座っちゃったかもしれないと思って。

 でもそんな雰囲気でもなかったし、それで次はこれはナンパの類なのかもしれない? と思って』

 このあたりから笑いが止まらなくなった。俺が彼をじろじろ見てたのは、やっぱりちゃんと伝わってたんだな、って。


『どっちかわかんないから、いずれにしてもあんまりリアクションしないで、できるだけ平気な顔してようと思った。

 でもあなたもそれ以上何も言ってこなかったから、勘違いが恥ずかしかったっていうか……』

 それってちょっとは期待したって理解であってるかな?

 そう思ったところで、トドメがきた。


『今日、最初に、チョコレートじゃなくて、あの絵も見せてくれたらよかったのに。

 あの絵、なんだかすごく美化されてるみたいで不思議な気分だったけど。もし最初に見せてくれてたら、どうしてそんなに探してくれてたのかな、って考えてぐるぐるしなくてすんだのに』

 

 もしかしなくても、俺たち似たようなこと考えてた?

 そう思ったら、俺は正直、午後の仕事を放り出してそのまま下り電車に乗りかえて、彼がいる場所まで押しかけていきそうになった。

 ほんとにそうしたかったけど、どうにか自分を押しとどめて返事を書くほうを選んだんだ。



『今夜君に会いたかったら、俺はどこへ行けばいい?』って。

 返事は、今度はそう待たされずに届いた。





「スワンソング」から(同タイトルの映画2本あるけど、マハーシャラ・アリのほう)

https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/TzN2odwnesg

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