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2023.1/5「10年と10年」#グラスオニオン

  • 執筆者の写真: ろばすけ
    ろばすけ
  • 2023年1月5日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年1月21日


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20年。それだけあったら、生まれたばかりの赤ん坊が、もう世の中のことはぜんぶわかってるって顔をした大学生になってる。街並みは一変するし、友人のうち何人かは死ぬ。それくらい長い年月だ。わかってる。


でも年を取ると、時間の感覚がおかしくなるなんていうことは誰でも知っている事実だ。20年前と聞いてもそんなに昔のことと思えないし、自分自身も何も変わっていないように錯覚しがちだ。もちろんそれは大いなる「錯覚」にすぎない。あらゆる勘違いのなかでももっとも罪深いものの1つかもしれない。いや、きっとそうだ。

人は年を取るとどんどん鈍感になり、自らの姿から目を背け、心地よい錯覚のなかにはまりこんでいく。その中にいた方が楽に決まってるからだが、もちろんそれは、周囲にしてみればずいぶんと迷惑なことなのだ。



「それで?」

彼は、そう、ブノワ・ブランは少し面白がっているような顔でそう問うてきた。

「20年だよ。君とこの店で初めて出会ってから、もうそんなに経った」

そう言って彼がグラスを掲げて見せたのは、馴染みの店の奥まった居心地のいい一角だ。

今夜彼は、何も言わず僕をここへつれて来ると、「実はだいぶ前から席は押さえてあったんだ」と言って笑った。そして「店が姿を変えずにここに残っててくれてることに感謝しないとな」と続けた後で、それからどちらにもただ頷いて返して済ませた僕の顔を見て、彼はとうとう問いかけてきたわけだ。

「20年ってことは、どういうことかわかる?」と。

どういうことか。

もちろんわかっている僕は返した。

「10足す10の計算ができないくらい耄碌したと思ってるのか?」と。

それを聞いた彼はまるで喜んでるみたいな顔で笑った。

「いや。でも君が時々僕らが結婚してるってことを忘れてるんじゃないかと心配になるから、言わせてみたいとは思うね」

それに、僕は大きなため息で返した。

「結婚してから10年だ。わかってるよ」

「それで? 今の君の心境は? 今日の僕らに向かって言うことは?」

「言うこと、は別にない」



出会ったころ、20年前の彼は、それは美しかった。彼は僕よりだいぶ若く、当時はまだ30代で、切れ味鋭いナイフのようだった。今よりだいぶ細かった体つきも、頭の回転の早さも。

そして今もまるで変わっていないけれど、あの瞳ときたら。

あの恐ろしく鮮やかな青は、他にどこかで見られるとしたらロンドン塔くらいじゃないか? 王家のコレクションとしてガラスケースの中におさまっていてもおかしくない。


でも僕が恋に落ちたのは、あの晩この店のこの奥まった一角に集まっていた連中の、それぞれの才能に自負を持つばかりにお互いにけなしあうような雰囲気にうんざりしていた僕に気づいて、彼が言った言葉の方だった。

たぶん彼は僕が誰か知らなかったはずだ。

僕も彼が誰か知らなかった。

それまでほとんど黙って連中を観察していたブランは、退屈しきっていた僕に向かって、それまでの観察を元にした「推理」を小声で話し始めた。

たぶん彼は知らなかったんだと思う。僕がそこにいた連中を、彼以外の全員をいやというほどよく知っていたんだってことを。

そして彼が連中について「推理」した内容があまりにも当たっていたことに、心から驚いたんだってことを。


僕はただ「面白いね」とだけ返してそのはさっさと帰った。ブランは数日後に、某紙に載った僕のコラムの内容が、馬鹿な友人たちと連中の誇大妄想的才能自慢の大半を看破してみせた、とある男の観察眼についての賞賛だと知って、電話をかけてきたんだ。

「君がフィリップ・ブキャナンだなんて知らなかったんだ」

「知らないんだってことはわかってたよ。君は僕についての推理は一言も口にしなかったけど」

ちょっと面白がっていた僕がそう返すと、ブランは困ったような声で返してきた。

「僕は君の気を引くことしか考えていなかったらね。君がさっさと帰ってしまった後、自棄になってだいぶ飲んだから翌日は大変だった」

へえ。

僕はそう、まったく、驚きとか嬉しさみたいなものを含んでいるように響かないに違いない声で短く返した。


実際のところ、彼が僕のへそ曲がりをすっかり理解して、そういう短いどうでもよさそうな返事ほど、多くの意味があるのだと理解するまでにそう時間はかからなかった。

なにせ彼はもともと天才的な観察眼の持ち主だったから。

そして彼はそれ以降、僕についての経験値を、もう誰も足元にも及ばないほど重ねている。


僕らはその「記念日」の晩、ただいつものなじみの店でのいつもの外食のように過ごし、同じ部屋に帰った。

すると、僕が家政婦に頼んでおいた大きな花束がリビングのテーブルを飾っていて、その横にやはりブランが彼女に頼んだに違いないプレゼントの包みが置いてあった。僕らはお互いに、相手に向かって「なんで直接渡さないだ」と言って笑いあった。

まあそれも想像がついた範囲の話ではある。


そして彼はひと月もしないうちに気づくだろう。間もなく発売される僕の新刊に載った短編のひとつは、クレイジーブルーと呼ばれた宝石を巡る愛の物語だということに。

もちろんブランは、その「寓話的」物語の意味が分からない男じゃない。



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