20230317 #RHドロライ「過去」
- ろばすけ

- 2023年3月17日
- 読了時間: 10分
更新日:2023年3月19日
*まだ体だけの関係だったころのふたり。さらにそこから学生時代を回想しています。
「面白いものを見つけたぜ」
そう言いだしたのはまだ若そうな、記憶をたどるとおそらく整備チームの一人だった。
ブラッドリーはその時、基地の近くのなじみのバーにいた。
周囲で盛り上がっているのは、顔見知りかどうかは置いても同じ基地の関係者だということは明らかだった。私服でまぎれている彼が上官だと気づいていない連中の声をBGMのように聴きながら、彼は飲みに来たというよりは休日の夕食をカウンターで軽く済ませて帰ろうとしているところだったのだ。
けれどもふと耳に入った声はそのまま、思いがけない言葉を続けた。
「アナポリスのPRビデオのはずが没になったやつなんだってさ。もう何年も前の」
「どこで見つけるんだよそんなの」
聞いている仲間たちの声は最初は呆れた様子だった。けれども言い出した本人はそのまま続けた。
「撮った本人がVimeoに上げてたんだ。退役してハリウッドに移ったらしい」
「お前が映画好きなのは知ってるけど、没になったやつなんてどうせ……」
「いや、NGシーンも混じって入るんだけど、べつに出来が悪いから没になったんじゃなさそうなんだよ。それに知ってる顔がいくつも映ってる」
その言葉を聞いてすぐに反応したのは彼の仲間だけではなかった。ブラッドリーの中ですっかり忘れていた記憶に引っ掛かるような感覚があり、思わず耳をそばだてたのと、彼らのうちの一人が問い返したのが同時だった。
「? 何年前の?」
「5年。おまえの上官もいるぜ」
「まじで?」
とたんに、言いだした男の周囲の数人が吸い寄せられるように彼の手の中にあったスマートフォンをのぞき込んだ。
「見せろよ」
「5年前に学生、ってことは…わあ、フラナガン中尉じゃんこれ! わっか」
「この人も知ってるな、なんて言ったっけ……」
「”フェニックス”。リモアにいる」
「詳しいな」
「俺ちょっと彼女のファンなんだよな。さすがにまだあどけない顔してる……」
「なんなのこれ?」
「だからアナポリスの広報ビデオ」
「……にしてはふざけてないか?」
彼らがのぞき込んでいる画面は、もちろんブラッドリーには見えなかった。
けれども聞こえてくる音楽の断片や彼らの会話の端々から、彼らが何を見ているのか、ありありと想像することはできた。
なぜなら、その動画を撮った現場には彼もいたからだ。
そして。
「! あ、これ”ハングマン”だ」
「わー坊主じゃん、なんだよ可愛いな」
案の定、彼らがひときわ盛り上がった次の瞬間に上がった名前に、ブラッドリーは深いため息をつき、目の前にあったグラスに残っていたビールを一息で空けた。
そして彼はそのまま、喧騒を背中に聞きながら店を後にした。
*
「広報ビデオがさ、いかにもお約束通りでつまんないだろ?」
そう言いだしたのは、ブラッドリーの友人ライアンだった。
一つ上の学年の卒業の時期で、毎日のようにお祭り騒ぎが続いていた。この後の休暇を終われば、彼らが最上級生になる、そんな時期だった。入学した当初に比べれば自由に過ごせる範囲は格段に増えたが、学生寮の部屋の作りは変わらない。彼らは同室で、2段ベッドをシェアしていた。
「……そりゃあ軍の広報なんだからそんなもんだろ」
ブラッドリーがそう気のない返事を返した時、ライアンは身を乗り出すようにして言った。
「でもそれじゃ今どきの若者にはうけないって言ったんだよ」
「今でも競争率高いので有名だけど?」
「そうだけど、違うタイプの学生にだって興味を持ってほしいだろ? だから俺に撮らせてくれって」
ライアンは子供の頃から8ミリで「映画」を撮り続けてきたのだと聞いてはいた。
ブラッドリーは深く考えなかったが、ライアンはその後「学生が撮った方がもっと「面白いもの」が撮れる」と力説し、詳細な絵コンテ付きの企画書を作って、大学側からの許可をもぎ取ったのだった。
「おまえも出てくれよ」
そう言われたが、ブラッドリーは首を縦に振らなかった。そして返したのだ。
「出たいやつなんか他にいくらでもいるだろ。裏方なら手伝ってやってもいいよ」
ライアンの企画は、アナポリスでさまざまに行われる行事や部活動の様子を、有名な映画のパロディ的につないでいくというものだった。ブラッドリーは照明係の手伝いをすることになった。
新学期が始まると同時に出演者が公募され、機材は大学側が一式レンタルの費用を承認したので、本格的なものが揃った。
女子学生たちは「サウンド・オブ・ミュージック」の修道院のシーンをパロディにした歌詞を歌いながら学生寮の中の移動撮影に臨んだし、水泳部のメンバーはエスター・ウィリアムズの映画のパロディを大小の飛び込み台まで駆使して撮りあげた。
そのあたりは、実際に翌年の広報ビデオとして使われたシーンだ。
だが。
その中には、「炎のランナー」の音楽をバックに、学生たちが砂浜を走るシーンも組み込まれる予定だった。
そのシーンの出演者の中にはジェイクもいた。
当然のように誇らしげに先頭を走る彼を、レールの上を移動するカメラがなめらかに撮っていく様子を、ブラッドリーはすぐ近くで見ていた。
傾きかけた太陽に照らされ、何度もリハーサルを繰り返したせいでうっすらと汗ばんだ肌も短く刈りこまれたブロンドも輝いて見えた。敢えて午後の時間に撮影を設定した理由をその時理解して、ブラッドリーはカメラをのぞき込んでいる、今は「監督」と呼ばれている友人の横顔を思わず確かめた。
そしてその時確かに、胸の奥がどろりと軋んだような痛みを感じたことに気づいていた。
その「痛みのようなもの」が何だったのか突き付けられたのは、編集前の映像を見たときだったが。
「なんだこれ」
「いいだろ?」
驚いて目を見開いたブラッドリーの顔を見て、ライアンはちらりと笑って見せた。
「海岸を走る学生たち」を撮ったはずの映像は、確かにフレームの中にたくさんの学生たちの姿を映しこんではいたけれども、明らかに先頭を走る一人にフォーカスしていた。
それはもちろんジェイク・セレシンの姿だった。
レールの上にセットされていたのはカメラだけでなく照明もだった。逆光ぎみの太陽とは別の光に照らされたジェイクの肌は汗に光り、薄いユニフォームの下で躍動している体の輪郭は、若干低い位置にセットされたカメラによって、生々しく映し出されていた。
走っているスピードはジョギング程度のものからはじまり、次第にスピードアップしていく指示になっていたが、学生たちにとってはウォーミングアップ程度のものだ。それでも笑わず、カメラを見ず、ただ前を見て走れと指示されている彼の姿はとても美しく、そしてはっきりと、ただ美しいだけ、ではなかった。
「なんだよこれ……」
ブラッドリーは問いかけには答えず、ただ同じ言葉を繰り返した。
大学のコンピュータ室の一角に用意された即席の編集室だった。
モニタに映し出されたのは編集前の映像だったが、ライアンはヴァンゲリスによる映画のテーマ曲を重ねていた。シンセサイザーの背景に美しいピアノの旋律がかぶり、若々しい肉体の躍動を感動的に見せる。
キャロルが好きだったという理由で、ブラッドリーは元になっている映画を見たことがあった。画角も音楽も写されているものもほとんど同じだ。けれど、それは何かが決定的に違った。
そしてそれを裏付けるように、撮った本人は言ったのだった。
「セレシンって、ヘテロのくせになんかどっかエロいんだよな」
おまえならわかると思った。
そんな確信を込めたニュアンスでそう言われ、ブラッドリーは思わず、その場で立ち上がって彼を睨み返した。
『お仲間、だよな?』
入学してそう経たないうちに耳打ちされてから、ブラッドリーにとって彼の存在は時に疎ましく、それでも時には本音で話せることに安堵することもある、微妙なものだった。
彼がゲイだと気づいていた者は他にもいたはずだ。だが彼らは、休暇のたびにともに旅をしたニックのように、敢えて干渉してきたりはしなかったのだ。
「だからってこんな撮り方……」
「女の子たちも喜ぶだろ」
はっきりと非難しようとしたブラッドリーに向かって、ライアンは面白がっているような顔でそう返した。だからブラッドリーは重ねて返した。
「おまえが撮りたかっただけだろ?」
「そりゃあそうだけど。あいつが女にしか興味ないことはわかってるし、別にだまして裸にしたわけじゃない」
こんなのそれと変わらない。
ブラッドリーはそうとっさに思い、改めて画面のジェイクの姿に目を向けた。
映像の中の彼は、カットの声が掛かったのに応えて足を止め、無造作に汗を拭って見せたところだった。
「これでOKか?」とカメラに向かってまっすぐ問いかけているジェイクの顔がアップになったところで、映像は唐突に途切れた。
画面は暗くなり、ライアンは音楽を止めたが、ブラッドリーの脳裏には、ジェイクの汗ばんだ笑顔が残像のように残った。
彼らが時折ベッドを共にするようになってからしばらく経っていた。もちろん誰も知らない秘密の関係としてであって、ライアンにも話したことはなかった。
『セレシンって、ヘテロのくせになんかどっかエロいんだよな』
そう言ったライアンは、本当はジェイクの姿をことあるごとに目で追っていた自分に気づいていたのかもしれない。そう思うと、ブラッドリーはどこか背筋が寒くなるような感覚に襲われた。
『やりたいならやりたいって言えばいいのに』
そう嘯いて、「酔ったうえでの過ち」で済ませられたはずの関係を続けようとしたのはブラッドリーだ。それから、彼らはもう何度も体を重ねていた。
『きれいって言われるの好きなんだよな?
先頭に立って、注目されるのは「気持ちいい」って思ってるの、いつも顔に出てる』
そんなふうに言って煽った記憶すらある。だが行為の最中ずっと、自分の視線を強烈に意識していたジェイクに興奮していたのはほかならぬ自分だということも、ブラッドリーは理解していた。
そして改めて自覚したのだった。撮影の様子を見ていた時、自分が感じていた「痛みのようなもの」。それはきっと嫉妬だ、と。
「だからってこんなのは大学には出せない。わかってるだろ?」
ブラッドリーがそう強く言って彼を睨みつけると、ライアンは少しだけ驚いたような顔で笑って返した。
「どうかな。これがやばく見えるっていうのはそういう「目」があるからだろ?」
おまえもセレシンが気になってるくせに。
そう挑発するように問い返されて、ブラッドリーは思わずすぐそばにあったデスクをこぶしで力いっぱい叩いていた。
その強烈な音と振動に驚いたライアンが飛び上がるようにして息を飲んだのと同時に、ブラッドリーも自分の行動に驚いていた。友人を暴力的に脅かすようなことをしたいわけではなかったからだ。
けれど。
「俺はこのシーンを使うのは反対だよ。無理に入れるって言うならもう手伝わない」
*
ブラッドリーは、自宅に帰るとまっすぐにPCを立ち上げ、あの時の友人の名前で検索を掛けた。
ライアンがVimeoで公開していた動画はすぐに見つかった。
アナポリスの広報ビデオとして当時公開された作品のほか、撮影のようすやNGカットをまとめたものもいくつかあり、どうやらバーにいた彼らが見ていたのはそのうちの一つだとわかった。
再生してみると、やがて確かにヴァンゲリスの音楽が掛かり、あの海岸で走る学生たちの姿が現れたのだった。
ブラッドリーはその短いカットを食い入るように見た。
まだ学生で最近の記憶よりもずっと細く、髪も短く刈りこまれたジェイクの横顔はどこか幼くさえ見えた。けれどもあの時感じた、撮っていたライアンの視線が取り込まれたような危うさは、やはりはっきりと映り込んでいたのだ。
『あんなに走らされたのになんでカットされてるんだ?』
仕上がった作品がお披露目されたとき、ジェイクはそう言ってライアンに文句を言っていたけれども、ブラッドリーはあえて大げさに呆れて見せて言ったのだ。
『おまえは飛び込みのシーンであれだけアップになってたのにまだ足りないのかよ?』
カットするように言ったのがブラッドリーだと、もちろんジェイクは知らないままだ。
ブラッドリーは、自分のスマートフォンを短い間黙って見つめた。
連絡先はわかっている。けれども、普段ジェイクに、特別な用事もなしに連絡を取ったことはこれまで一度もなかった。
「用件」はいつも、待ち合わせの確認ばかりだ。会って、体を重ねるための場所と時間を確保するための。
「炎のランナー」のシーン撮った時のおまえの姿を、今見てる。
そうメッセージを送ったらどうなるのか、短い間ブラッドリーは夢想した。
誰にも見せたくなくて、カットしろって言ったんだ。
その時には、ブラッドリーにそんなはっきりとした自覚はなかったけれど。
でも結局、彼はどんなメッセージもジェイクに送ったりはしなかった。
彼らが最初のトップガンに同時に呼ばれたのは、それから数か月後のことだ。

(ちょっと「フェイブルマンズ」の感想でもある。あとちょっと「エンパイアオブライト」も)




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